「神戸オレンジクラブ」「関西学生モデルクラブ」等の学生企業を同志と共に運営し、当時ブームであった学生企業の第一線で活躍する
大学卒業と同時に大阪・日本橋のワンルームマンションに事務所を構え、「トライアウトプロジェクト」設立。当時は雑誌の仕事よりもイベントやテレビの人材派遣を中心に活動、テレビの構成等にも参加。
大阪・新町の2Kマンションに事務所を移転、当時社員数2名。雑誌の編集プロダクションとして力をつけてゆく。
他に通信事業・ディスコやバーのプロデュース・国際花と緑の博覧会のパビリオンを業務委託。ラジオの構成等にも参加。
他に通信事業・ディスコやバーのプロデュース・国際花と緑の博覧会のパビリオンを業務委託。ラジオの構成等にも参加。
同エリアの2DKマンションに事務所を移転、当時社員数6名。
カメラマン・ライターを増やし、広告部も設立。この頃から雑誌の制作会社への一本化を図る。
カメラマン・ライターを増やし、広告部も設立。この頃から雑誌の制作会社への一本化を図る。
有限会社トライアウト設立
大阪・新町のオフィスビルへ移転、当時社員数10名。初めてオフィスらしい事務所を構える。ライター・カメラマン・営業マンに加え、デザイナーも社員として追加。機能の充実を図る。
大阪・堀江のオフィスビルへ移転。前ビルの倍近い面積のオフィスへ移る。当時社員数15名。広告に力を入れ、広告代理店としての機能を充実させてゆく。この頃から編集と広告の二軸体制となる。
有限会社から株式会社へ組織変更。 大阪・新町のオフィスビルへ移転、当時社員数32名。作業室・会議室・スタジオ・社長室のフロアーに分かれ、編集1課・2課・3課、写真課、デザイン課、営業1課・2課と組織も細分化。作業効率の基礎をつくる。
東京支社設立 営業部発足
トライアウトの関連会社として有限会社エフ・エー・エス設立
東京支社に編集部・制作部発足
東京支社が、増員に伴い渋谷区南平台に移転
東京支社が、増員に伴い新宿区に移転
東京支社設立 営業部発足
トライアウトの関連会社として株式会社サンムーン設立
大阪本社・中央区博労町の新社屋へ移転。自社ビルとなり、面積も2倍となる。フロア構成は1F総務部・関連会社・フォトスタジオ、2F営業部・デザイン課、3F編集部・写真課、4F会議室・社長室・フリースペース、5F資料室となり、社内環境の装備充実を図る。
大阪本社にSP事業部を開設

